既卒女のテキトー人生

ダメ人間爆誕!!!!!

役割分担。

世の中は役割分担で出来ているという話。
ものすごく曖昧な話になると思いますので悪しからず。
会社で全く仕事も出来ないし、コミュニケーションは取れないし、ミスしまくりで全然役に立たない人がいるとする。
例えばその職場で5年間働いていても1年目の新人より出来なかったりする。でも致命的なミスはないからクビには出来ないとする。
その人はコミュニケーションも取れないのでいつも仲間外れだし、仕事は出来ないので足手まとい。
でもある日、ベテラン勢でも対応できないような史上最悪のものすごいとんでもクレーマーが来たときに、その人が奇跡的に上手く対応して円満に解決したりする。
そうすると、その人の働いていた5年間はその日のためにあり周囲の苦労はその日のためであったと皆が気づく。
で、不思議なことにそういうことがあると何故かその出来ない人は会社で初めて結果を残したにも関わらず、自ら言い出してあっさり辞めてしまったりする。
まるで「私の役目は終わりましたよ」と言わんばかりに。そういう人って、いると思う。

今の話が分からない人もいると思う。
要するに、日常を上手く回していくためには多くの「普通」で「有能」な人が必要であり活躍するんだけれども
本当のピンチになったときっていうのは普段の基準で言えば「変人」で「無能」な人が役に立つ場合があるということ。
どちらも存在しないと社会は成り立たないのでどちらも排除してはならないというのが私の考え。

99.5%の人は前者だと思うけどたぶん私は後者。
就活頑張らないとなー。

うげえ。

またお腹の調子がおかしくなってきた。
ストレスなのかな。
食事の量は増えてきたんだけど。
左下腹部がキュウッとなる。
やはり大腸カメラやらないとダメかなー。
病院二つ行って心配しすぎと笑われた挙げ句なんか大病だったら最悪すぎるんだけど。

曖昧な話。

自分自身のメンタルがボロボロなのもあってネットでいろいろメンタルコントロールについて調べたりする。
まあ、「○○な人の特徴」みたいなチェックリストや「前向きに生きるための考え方」みたいなのもたくさんあるしいくつか見てきた。
それぞれいろいろ考え方があるだろうし、「これもアリかな」と思わされるようなものもいくつかあった。
これだという正解は無いので各々しっくりくる考え方ややり方を実行して効果があるものを続ければ良いと思う。それは身体の健康に関するものと同じだよね。
そういうポジティブなサイトは別にいい。いくつあってもいい。健康を害することや嘘がなければ。

問題は、ネガティブなサイトだ。
不幸で悩んでいる人、生きづらくて悩んでいる人に「お前が不幸を好んでいるからだ」「受け入れられようとするのは傲慢だ」と言い張るサイトだ。
只でさえ弱っているところにこの類いの言葉を投げかける人というのはどういう神経をしているのか分からない。
個人的な考えとしては、
・いまだに不幸の最中にいて他人も引きずり込もうととしている人(意識的か無意識かは問わない)
・単なるサイコパス
・宗教的な何かに誘い込んでカモにしようとしている
という人が言っているのかなあという感じ。
卑屈で自己顕示欲の強い人は人を従えることで崇め奉られることで自分に価値を感じる。
人を従えるには何か大勢に認められるような才能がないといけない。
「普通は」だ。
でも、そのためにはそれなりに努力をしなければいけない。しかし努力というのは卑屈な人には出来ないことだと思う。
努力しないと何も出来ない自分を許せない。
この感覚は卑屈な人にしか分からないと思うんだけど、そうなんだよね。
で、もっと楽をして人に認められようとする。
まともな人に認められるのは難しいから、弱い人を従えようとする。
弱いというのは主に社会的地位なんだけど、次にメンタルってのがくる。
社会的地位が低い人を助けるのも良いけど、メンタルが弱い人を従える方が見た目は良い。
パッと見は普通なのにメンタル病んでるような人は多いから、そういう人を従えるとすごい人に見える。
普通の人ってのは社会的地位も中央値で身体の健康も問題ないってことね。で、メンタルだけ病んでる。

メンタルが弱ってる人を従えるのはとても簡単で、一度、徹底的に叩きのめす。それだけ。
徹底的に否定してボロクソに言って、如何にお前が間違っているかと責め続けてその人を壊す。
あからさまにやるのではなく、いかにも相手を思っているからこその愛の鞭であるかのように振る舞い、蝕むような毒を植え付けていく。
そうやって弱っている心に僅かながらに残った自我や自尊心を食いつくす。
そしたらもう簡単。
自分の考えを刷り込んでゆくだけ。
「愛の鞭」とか「厳しい言葉」とか本当に弱ってる人には要らないから。
そんなことも分からずにキツい言葉を吐き捨てて喚いてる根性バカは人目の無いところでひっそりと暮らしててほしい。

健康な心とはどんなものなのか、一度考えてみてほしい。
強い心とは他人を傷つけても平気な心ではないと思うし、他人を思って傷つく心が弱いとは思わない。
自分のことばかり考えて生きているように見える人だって何か理由があると思う。
もっともっと、考えるべきことはたくさんある。私はちゃんと考えて生きたい。

最近は。

おかしな事件事故が多いね。
何が起こっているんだろう。
みんなは気づいているんだろうか。

良し悪し。

私は基本的に小さい頃から自分が一番正しいと思っている。
自分が納得して生きていくにはそれが一番だから。
でも、私の人生においての軸は最初から歪んでいた。
両親は言うことが違うしいつでも私を見下し、私を他の兄弟と比べては「お前はどうしようもない」と悪く言った。
中学で親友と出会い、高校で部活の仲間と出会うまでは同世代にも裏切られ見下されバカにされ軽く扱われ続けた。
私の考えなんて誰も聞いちゃくれないし正しいとも思っていない。私自身も間違いだらけだと気づいている。
でも、そんなこと二十歳越えて気づいて、どうする。
大学卒業してニートになって、自立すらできなくて、プライドばかりもて余して、何になる。
私は私であることが軸であるということにした。
私が生きている。それだけが軸であると。
考えは変わる、言動も変わる、社会的地位も変わるかもしれない、人間関係も変わる。
その時々、私は全く違う人になっているかもしれない。
それでも私が生きていれば、何が変わってもそれを軸としようと思う。
世界中の人に認められる人もいれば、世界中の人に無下にされる人もいる。
私は後者だった。それだけ。
でも、命の価値は同じ。それが真実。
そう思わないのは人間だから。
常識やルールを刷り込まれてしまったから。
奴隷であれ、のメッセージを受け止め続けてきたから。
大企業の社長も世界的ミュージシャンもスーパーアイドルも、奴隷に変わりない。
こういう価値観は、狂ってると思われるんだろうな。
でも私はそう思うから変えないし、曲げない。
いつか同じ価値観を持つ人に出会うことを今後の目標にしようかな。

気づいたこと。

私は言葉にとらわれやすい。
普通コミュニケーションを取るときってその人の発する言葉以外に、背景や表情、声色、言葉の細かなニュアンスなんかでその人の言わんとしていることを読み取ると思うんだけど私にはそれがない。
その人が今この瞬間紡いでいるその言葉だけをとらえる。それだけ。
その人が秘めている気持ちや言葉の裏側にある思いなんてのは私には全く分からない。考えても分からないのだから分からない。
分かったところで共感できないのでやはり分からない。
皆、それを普通にこなした上で普通にコミュニケーションをとっているということに最近気づいた。
どうやら私は今までずっと異次元で生きていたらしい。私と付き合ってくれている数少ない友人たちは私をどう思っているんだろう。
感謝もあるけどちょっと怖いな。
だから私は現実世界でコミュニケーションを取ったり映像や音楽、演劇なんかで何かを感じるのはとても苦手。絵も苦手。
唯一、理解できるのは文章。言葉。小説とかエッセイとか。
かといって、理解できるのは言ってることがわかると言うだけで心に染み入ってくるわけでもない。結局、本当に理解できているかは分からない。

人間は言葉より行動に本音が表れる。

私は他人より一層これを頭に入れつつ生きていかないと現実のコミュニケーションでの苦しみが日に日に増していくんだろう。

今まで気づかなかったから混乱していたんだろうね。
優しい言葉をかけつつニヤニヤ笑っている人がいてもつっけんどんな言葉で突き放しつつも見守ってくれている人がいても、私には分からなかった。
だから余計に傷ついた。どんどん分からなくなっていた。

私は活字の世界に生きる方が向いてるのかもしれない。気づくの遅いなー。

分かっていたことだけど。

 
世の中の悪いことは全て「嫉妬」から来てるよね。
いじめとかマウンティングとか就職とか公務員叩きとか芸能人叩きとか。
世間的な価値観とは別に人それぞれに他人を羨ましく思うポイントってのはあるわけで。
男が女を羨んだり、年老いた者が若者を羨んだり、就職氷河期組人がバブル就職組を羨んだり。
もちろん分かりやすいところで言えば学歴や容姿、社会的地位なんかもあるんだろうけど。
もっともっと見えにくい嫉妬もあるよね。
貧しくても家族仲良く暮らしている人を羨む金持ちがいたり、ニートを羨む社畜がいたり、アメリカ人を羨む日本人がいたり。
羨ましいかどうかは人それぞれの基準なので世間的な価値観とは全く関係ない。
でも周囲の人間や世間がそれを認めない。不満を言うことは許さない。
「お前は満たされているのだから満足しろ」と言い放つ。そうやって突き放す。
突き放された人は羨んでいる対象を攻撃し始める。「お前のせいだ」と。
例えば鬱になりそうなくらい仕事がキツい人が泣き言を言うと上司や世間は「甘えるな仕事があるだけ恵まれているだろう」と説教する。
で、その人はその思いをニート鬱病患者に向ける。「甘えるな。働かずに生きている資格などない」と。
そうやってみんな、自分の満たされない心の不快感や他人に受け止めてもらえなかったつらい気持ち、心に負った傷なんかを誤魔化すために他人を悪く言う。
みんな、それぞれ境遇があってつらいのに傷つけ合う。
その場には誰も解決できる人なんていないしそもそもその場では解決できる要素なんてないのに。

嫉妬するのは卑屈だからだと思うんだけど。
みんな自覚はないんだよね。自信があるつもり。
で、潜在的に日々傷ついてゆく自尊心を守ろうとして他人を見下して自分を保とうとする。
もうすでに死に体であることすら気づけずになんとか踏ん張ろうとするから他人が憎くなる。
そんなもんだと思うんだけど、どうなんだろうね。