既卒女のテキトー人生

ダメ人間爆誕!!!!!

仕方ないかな。

 
親と話すのを極力避けようと思う。
話しているときは普通に笑顔でも自室でボーッとしていると、自分がものすごく疲れているのが分かる。
誰とも話さず一人でじっとしている方が楽。
両親は話しているだけで無意識に私をバカにしているし傷つけるような言葉を愉快そうに言うし、それど私が嫌がるのを何とも思わないみたい。
心がまともに育っていない人に育てられたらそりゃ社会には適応出来なくなるよなあ。
父親が単身赴任で家にいない間、私が家族の中でサンドバッグになってなんとか保っていたのに。
父親が帰ってきたらそんなことなかったかのようにみんな自分の責任なんてないかのように繕う。
ニートになった私を蔑むことで皆プライドを保っているらしい。
狂っている。
こんな家族、もう要らないと思う。この一族はこの代で潰えるのが望ましいことなのではないかな。
日本がダメになっていくのはこういう卑屈な人たちが他人を虐げて傷つけているからじゃないかな。
コンプレックスからは何も生まれないんだからさ、さっさと消えれば良いのに。
もちろん私も早く消えなければならない人間の一人だと思っている。
自分に生きる価値がないとかそんなレベルじゃない。
生きてるだけでマイナス。生きてるだけで悪。
何のために生まれたかって死ぬためだろうよ。
幸せなんて、私には縁のない言葉だね。
みんな私の幸せを奪うことが楽しいみたいだから。
被害妄想だと私を批判する奴こそが私の幸せを奪うことを心から楽しんでいるんだよ。
言葉って怖いよね。巧みに使えばいくらでも相手を貶めて壊せるんだからさ。

反抗期と暴走。

 
思い返せば私は幼い頃から愛情不足のサインをたくさん親に出していて、親は見事にそれをスルーしてきたんだなと気づかされる。

私は小学校高学年~高校入学くらいまで家で暴れていた。
何か気に入らないことがあったり怒られて納得が出来なかったら物を壊したり叫んだりしてそれはもうめちゃくちゃに暴れていた。
で、ことあるごとに母親にボロクソに言われてキ○○イ呼ばわりされて、叩かれていた。
それを兄弟はただ見ていた。(傍観者は加害者と同罪だと思う。)
この私が暴れる行為が終わった理由は、私が母親より明らかに腕力が上になったから。それだけ。

私は本当につい最近まで、これは反抗期だと思っていた。
でも、違った。私は学校にも割ときちんと行って部活も勉強も(ちょっと怠け気味だけど)問題ない程度にはやっていた。
学校の先生から生活や成績のことで指導を受けたこともないし、アルバイトもやらなくていいと言われたのでやらなかったし、ピアスや髪を染めるのも禁止されていなかったけどやらなかった。
(だって、ピアスも髪を染めるのもバイトも母親はきっとバカにするだろうと思ったから。)
家で暴れる以外は特に反抗期らしいことはやっていない。父を避けたり嫌うことも特になかった。
だからたぶん、私には反抗期がなかった。

これは実にややこしいことなんだけど、私が家で暴れていたのは反抗期だからではなく毒母が許せなくて暴走していただけ。
たまたま反抗期の時期と被ってしまったので傍から見たら、反抗期だと思われてしまいがちだけど。

私には反抗期なんてなかった。

反抗期とは本来、子どもが親に自分の主張を受け入れてもらうためにやるものであって、端から子どもの主張を聞く耳も持たない毒親に対して反抗期なんてのはあり得ない。
毒親家庭には反抗期が存在しない。

今、「子ども 暴れる」をネットで調べると「子どもが暴れるのは発達障害が原因」というのが結果として出てくる。
これは毒親にはめちゃくちゃ都合が良い。
基本的には毒親発達障害だと思う。
発達障害が原因で自分達の子育てが悪いわけではないと思い込んでしまったら、毒親はますます調子に乗る。
発達障害の子どもを育てている素晴らしい親」として子どもより優位に立ったつもりになる。
役立たずの子どもと優しい親。毒親の中ではそういう構図になる。

子どもが暴れるのは毒親だから、それに尽きる。
ただの癇癪持ちで手がつけられないほど暴れるなんてそうそうあることではないし、子どもを恐れて他人に丸投げするような親はどっちみちダメだと思う。

昼夜逆転生活が治らない。

 
長く起きていてもすぐ寝ても、昼夜逆転生活が治らない。
でもどうせ、もうじき隣の空き地で新築の工事が始まるから日中は眠れなくなるだろう。
それで昼夜逆転生活も直るんじゃないのかな。
最近は眠りの質が悪くて必ず夢を見る。
悪夢も多いけど、現実と区別のつかない夢も多い。
家族に話しかけられたり、近所へ買い物に行ったり、テレビを見たり。
で、起きてからやっと「ああ、夢だったんだ」と思う。
何もせずにゴロゴロしているだけなのにストレスが凄まじい。

自分の両親のクソさに気づいてしまったら何もやる気が無くなるよ。
両親がクソなら私なんてクソofクソでクソ人間のサラブレッドだし。
そんな奴が社会で幸せにまともに生きていけるわけがないでしょうよ。
親の見栄のために生まれただけの私はもうそろそろこの世からフェードアウトしなきゃならないのかもしれないね。
私がどんなにつらくても受け止めてくれなかった母親も私がどんなに話しかけても理解してくれなかった父親
二人とも私を見下してバカにして惨めな私を見て自分はこいつよりマシだと安心したんだろう。
そのためだけに私は生かされていただけなんだなとやっと気付いた。
使い物にならなくなった私はもう要らないので早く捨てたいらしい。

「あなたの好きなように生きなさい」とわざわざ言う親は毒親だと思う。
だって、普通の親ならそんなことわざわざ言わないから。
そんなことにすら気づけなかった自分の愚かさに嫌気がさす。

割と深刻な話。

 
リビングで父親と母親が話しているのが聞こえた。

母親「あの子どうするの?もうタイムリミットよ」
父親「さあ?知らない」
母親「知らないって!どういうこと!?」
父親「じゃあお前はどう思ってるわけ?」
母親「どこでもいいから就職してほしい」
父親「ふーん」
母親「あなたは本当に無責任ね!」
父親「はいお疲れー(逃げる)」
母親「ほらまた逃げる!」

本当にこんな感じ。
私はもうタイムリミットらしい。
イムリミットなんて知らされてないし。
二人にとって私は本当にどうでもいいらしい。
なんで生んだんだろう。

他の兄弟はまともだし一族はみんなちゃんと社会的地位の高い仕事にちゃんと就いてるのに私だけクズなのはなんでなんだろう。
よく分からない。

タイムリミット。

 
そろそろ死なないとダメなのかな。
生きる気力もないし好きな人もいないしやりたいこともないし。
こういう人生もあるんだなってよくわかりました。
自分を好きになれないし、生きてて楽しいと思ったこともないし、
楽しい思い出なんてほとんど覚えていないし良い思い出にも全てケチがつく。
私がやることは全て無意味でマイナスだし関わる人も良いことなんてない。
私がいるだけで世の中は不幸になるし不愉快になる。
サンドバッグにもなりきれないから何の役にも立たない。
幸せになりたいと思えるほど自分を好きになれないし
愛とか優しさとか分かんないし生きていても寂しいだけ。
誰とも何も分かり合えないまま傷つくだけの人生って無駄だね。

全部自分のせいなんだよね。
早く終わらせないといけないんだろうな。
終わらせる気力が湧くまで待たないと。

隣の芝生は青い。

 
雑誌とかテレビでオシャレなカフェが紹介されていると
「ああ、こんなにオシャレなカフェが近所にあればいいのに」
とものすごく羨ましく思ったりする。
オシャレなカフェのある街に住んでいることに憧れたりする。
そのカフェで友達とお茶したり近所の人とたまたま会って話し込んだりする優雅なカフェライフを想像してみたりする。
そんなカフェが近所にないなとふてくされてみたりする。

で、ふと近所を歩いているときにハッとする。
そう言えば、自分の家の近くにもかなりオシャレな人気カフェがある。
しかも割とその店の前を通る機会は少なくない。

実際近くにオシャレカフェがあっても行かないことにようやく気づいた。

そもそもオシャレなカフェなんかあっても自分がダサいから恥ずかしくて行けない。
近くのカフェで高いケーキ食べるくらいならコンビニでシュークリームを買う。
近くのカフェで近所の人に出会うと気まずい。
オシャレなだけあってめちゃくちゃ高い。
当たり前だけど基本的にいつも同じメニューなので頻繁に行くと飽きるのであまり行けない。
なんか前を通ってメニュー見るだけでもう行った気になる。

所詮、そんなもんだよね。
どこに行っても何をしていても何を手に入れても自分の手元にやってくると「こんなもんか」って感じなんだろうね。
大金持ちになったって絶世の美女になったってちょっと強めの「こんなもんか」があるだけだろうね。

思いやるということ。

 
「他人を思いやりなさい」というのは幼い頃から言われてきた人はかなり多いというかほとんどだと思う。
幼稚園や家庭で最初にざっくり教えられ、小学校の生活や道徳で学び、中学では社会の仕組みの基本として教えられる。
たぶんそんな感じだと思う。日本では。
(海外に行ったことがないので海外のことは知らない。)

私は生まれ持った神経質すぎる気質と毒親育ちが合わさって、相手のことまで考えてすぎてしまうところがある。
他人の気持ちまで考えすぎる。他人を傷つけるかもしれないと想像するだけで自分が傷つく。
だからいつも自分を差し置いて、やりすぎなくらい考える。で、距離感が分からなくなって鬱陶しがられる。

でも、普通の人はそうじゃないらしい。
普通の親に育てられた人は「人は人、自分は自分」で他人をある程度傷つけても、それはそれとして反省はしても自分が傷つくことはないらしい。

つまり大前提として皆があまり思いやりがないからこその大々的な「他人を思いやりなさい」という教えが成り立つのであって
私のように考えすぎる人間には実は「あまり思いやりすぎも良くない」的な教えの方が必要だったりする。

にも拘らず、毒親は「もっと思いやりを持ちなさい」「あなたは冷たい」「あなたは優しさがない」とどんどん追い詰めてくる。
どんなに思いやって考えても満足してもらえない。

だから「普通」の人よりは遥かに色々他人を思いやって生きているはずなのに自分では冷たい人間だと思っている。もっとさらに他人を思いやろうとする。
でも、周りの人間はそこまでしていない。それなのにみんなそれなりに思いやりのある人間として胸を張って生きているし
普通の人同士はそれで良い感じに理解し合って仲良くやっている。
それでいよいよ訳がわからなくなる。

世間では、自分を傷つけてまでも他人を思いやっているはずの自分よりも、自分勝手に生きている人間の方が思いやりがある人間として扱われる。
それを目の当たりにしているうち、じわじわとメンタルが削られていって自分がボロボロになったところで気づく。

自分は「やりすぎていた」ということに。

今の私はこの段階なのでここからどう立て直すかは検討中。
言葉ひとつとってもそこに含まれる意味は無限大であることを常に頭に入れておかないととんでもないことになるね。